@article{oai:kusw.repo.nii.ac.jp:00000780, author = {中田, 浩司}, journal = {関西福祉大学研究紀要, The journal of Kansai University of Social Welfare}, month = {Mar}, note = {フランスのアンシアン・レジーム期において体罰とは,子どもの教育のために必要不可欠なものであった.というのも,子どもは動物のように躾けられることが必要であり,キリスト教においては,子どもは原罪によってねじまがった存在であり,体罰によって良き人間へと導いていくことが必要であったからである.また,そこでは体罰がある程度容認されていた. 本論稿では,17 世紀末期から18 世紀の前半にかけて,貧者への教育において尽力したジャン=バティスト・ド・ラ・サールが執筆した『キリスト教学校の運営』における「体罰」に関する記述を主たるコーパスとしながら考察を進めることとしたい. ラ・サールの『キリスト教学校の運営』とは,「キリスト教学校修士会」という修道会におけるいわば生徒および教員が守らなければならない学事規定のようなものであり,ラ・サールは,その「懲戒一般について」と題された章において,体罰に関する考察および彼の学校における体罰の取り決めを詳細に論じている.体罰は,それがただ単に,教師による暴力とならぬように,また恣意的なものとなるのを防ぐために,統制下におかれたのである.つまり,体罰を行うために,それが完全に制度化され,明文化され,詳細に決められたのであった. 本論稿は,まずラ・サールの生涯と彼が行った教育とその学校の特色について素描することから始める.ついで,ラ・サールが子どもへの懲戒としての体罰を行う際の道具とそれを使った体罰の分析を行う.そして,最終的には、体罰を与える頻度や方法について考察を行う.以上のような考察を経て、17 世紀から18 世紀フランスの教育において「体罰」は一種の「治療薬」としての子どもへの教育効果を有していたことを明らかにしていく.}, pages = {75--84}, title = {ジャン=バティスト・ド・ラ・サールの体罰論}, volume = {26}, year = {2023} }