@article{oai:kusw.repo.nii.ac.jp:00000753, author = {鈴木, 幹雄}, journal = {関西福祉大学研究紀要, The journal of Kansai University of Social Welfare}, month = {Mar}, note = {1920-30 年代,教師達によって取り組まれた実験学校の実践と取組みは,「子どもからVom Kindeaus」の教育学に代表される,20 世紀冒頭の教育理念論議から少しずつ脱皮し,実験学校の教授論・授業論に移っていった.そして1920-30 年代の実験学校の遺産は,第二次世界大戦後西ドイツの教育界に「探求的教育学」の一形態として受け継がれていく.ところで1920-30 年代の実験学校教育学の遺産を受け継ごうとする終戦直後の学校教育学研究はこれ迄具体的な実情が十分に解明されて来なかった.その一事例として,東西対立下でのP・ペーターゼンの教育学的視点があったが,しかし彼の実験学校教育論は,1950 年前後の「東西の壁」による分断と「東ベルリン」の圧力の下,1952 年,ペーターゼンの死去によって基本的に幕を閉じられた.しかし同時期,占領下ドイツ西側ゾーンでは,ペーターゼンによって先鞭をつけられた実験学校教育論の実践と取り組みは,西側ゾーン教育界に受け継がれた.例えばゲッティンゲンの教師達によって,西ヨーロッパ的精神に比重を置いた実践研究として取り組まれ,記録・分析・解釈された.本論では,同市の教師達とともに同テーマに取り組んだスロッタの,わが国研究者未発掘研究書『グループ活動の授業実践とその基礎』(1954)を基礎資料に,その概要を研究・紹介する.}, pages = {1--12}, title = {ドイツ敗戦期にみる現代教育学・教育方法学の発生動態について(Ⅱ) -ゲッティンゲン大学学位取得者G・スロッタの 「グループ授業(教授)」と教育学の「現実主義的転換」-}, volume = {25}, year = {2022} }