@article{oai:kusw.repo.nii.ac.jp:00000309, author = {古瀬, 徳雄}, issue = {4}, journal = {関西福祉大学研究紀要, The Journal of Kansai University of Social Welfare}, month = {Mar}, note = {前世紀は科学が急激な進歩を遂げたが、多様な武器の拡大による大陸を越えた大戦を繰り返し、多くの損失も残した。音楽芸術も成熟する一方で、作曲家は社会的影響にさらされ、音楽が独自の論理だけで成り立つ余地を失っていったことも特徴になっている。音楽と政治、音楽と体制、音楽と戦争等、音楽が社会との対比関係の一方の要素を受け持つことで、実に多様な両義性の展開を見せることになった。創作の背景や作品そのものに鮮明に戦争を表出させたものもある。例えばシェーンベルクの<ナポレオン頌歌>やジョリヴェの<兵士の3つの訴え> <平和の日のためのミサ>などは第二次世界大戦の衝撃で作られ、ノーノ<命と愛の歌-広島の橋の上で> ペンデレッキ<広島の犠牲者の追悼のための哀歌>等は、広島の被爆によって作曲家の心を動かした。さらにナチズムの残虐さがシェーンベルクの<ワルシャワからの一人の生き残り>やペンデレッキ<怒りの日>とハルトマン<反ファシズム> ショスタコーヴイチ《交響曲第13番バービー・ヤール》等、戦争をめぐる激しい怒りや慟哭によって生み出されている。 また、音楽が政治状況に対応して語るべき主題性を意識し始め、様式や表現形態の面でも混迷を来たした。ショスタコーヴィチもその一人で、自立的、多様性を持った主題を駆使し、十二音主義を否定しながら、隠された「音名象徴」を楽譜に包み込みながら巨大作品を打ち立てていった。彼の象徴の根底にはどのような深い意味が横たわっているのか、聴き手として象徴的音型を聞き取ることは極めて困難であるが、楽譜に刻まれた音型は視覚で捉える以上に極めて重要であるかもしれない。彼の作品から「音名象徴」を論点にすえ、この「音名象徴」の表出の萌芽が、早くも初期の作品《日本の詩による6つの歌》にあるのではないかとの新たな論として問題を提起したい。}, pages = {197--223}, title = {D.Shostakovichの《日本の詩による6つの歌》作品21をめぐって}, year = {2002} }